No.171 天皇の料理番と呼ばれた秋山徳蔵 2014(平成26)年1月号掲載


 

 福井は日本のドマン中「日本のヘソ福井」第171回目は「天皇の料理番と呼ばれた秋山徳蔵」の話です。秋山は、明治政府が公式に正餐を西洋式に定めて以降、宮内庁の新設された洋食部門の初代料理長に就任し、「天皇の料理番」と呼ばれ、55年間の長きにわたって日本の西洋料理の頂点にいた人物です。

 秋山は、明治21年8月30日に福井県南条郡武生町(現在の越前市)に生まれました。実家は仕出し料理屋で、幼い頃から家業を手伝い料理の腕を磨いていました。そんなある日、地元に駐屯する陸軍の宿舎で熱々に揚げられたカツレツを一口食べたことで、西洋料理のとりこになりました。そして、秋山20歳の時に、シベリア鉄道に乗ってパリへ向かいフランス料理の修業を始めたのでした。厨房では、日本人として馬鹿にされましたが努力の結果、当時フランス料理の最高峰リッツホテルで働くことになりました。

 秋山のフランス滞在中に、日本では明治天皇が崩御されました。ほどなく大正天皇の即位式が行なわれ、世界各国から招待客が参列される晩餐会が開かれることになりました。秋山は日本大使館に呼出され、大正天皇主宰の晩餐会で、西洋化を成し遂げ一等国にふさわしい最高の料理を出す使命を受け帰国したのです。秋山は26歳で、宮内庁の料理長に就任しました。

 昭和に入っても、40年にわたり昭和天皇に料理を通して仕え続けました。昭和47年、秋山84歳で天皇の料理番を引退することを決意、料理を介さずに天皇からお言葉を頂きました、「長いあいだ、ご苦労だったね。これからも体に気をつけるように」と。そして天皇の前を退出すると声を上げ、男泣きに泣いたそうです。決して表舞台には出ませんが、料理という道に精進した秋山徳蔵を福井人として誇りに思います。