No.28 福井市民憲章、不死鳥 1987(昭和62)年5月号掲載


 福井は日本のドマン中「日本のヘソ福井」第28回目は県都福井市の市民憲章「不死鳥」の話を一席。

 福井市は昭和20年7月の戦災をはじめ昭和23年6月の福井地震における震災、 引き続いての水害とたび重なる災害を受けてきましたが、 これらの災禍を乗り越えて不死鳥のごとく立ち上がってきました。
昭和27年になり一応の復興がなり、これを記念して復興博覧会が福井大学と足羽山公園の2つの会場で 盛大に開催され(この博覧会のシンボルマークが「不死鳥」でした)災害復興を祝福するとともに、 将来への大福井市建設の展望を開くこととなりました。
この展望を軸として都市計画、下水道建設の都市基盤整備や教育文化の振興、産業開発が着々と進み、 市民生活は経済の高度成長の波に乗って漸次豊かさを増してきました。

 一方、これら外的復興建設や物質的繁栄に並行して、内面的精神面の充実がともなわなければ、 真に明るく住みよい郷土の建設は不可能であり、市民一人ひとりが共同生活を担う一員としての 自覚を高め、温かい思いやりのある人間性の高揚を図ることが大きな課題となってきましたので、 昭和39年6月28日、福井市16万市民の精神的支柱として市民自らの総意によって不死鳥のねがい (福井市民憲章)が制定されました。

 そしていまでは人口25万人をこす日本一住みよい福井市(朝日新聞社発行フットワーク、 1983年7月号に掲載され注目される)としてタイコ判をおされる立派な都市になりました。