No.48 大野屋 1990(平成2)年9月号掲載


 福井は日本のドマン中!「日本のヘソ福井」第48回目は、現在の総合商社とチェーン店の元祖 「大野屋」のおはなしです。

 県都福井市から車で南々東へ約45分、小京都を思わせる町並みの大野市があります。
この町を中心とした1830年代から1850年代当時の大野藩は、多額の借金に悩まされつづけていました。
1829年に19才で藩主になった土井利忠は財政再建のため、一般の人々には勿論、藩主自らも倹約 をすすめ乱れたぜいたくな生活を厳しく戒めた。
この緊迫した藩財政の再建と地場産業振興のため、後の大野藩家老、内山良休が1855年に大阪は 北久太郎町に大野藩直営の商店「大野屋」を開店させ、10数年のあいだに今庄、三国、福井、 名古屋と30数店に増やした。
地元の生糸や漆、和紙など物産を売り出し、さらに30数店を総動員して北海道の物産なども 海上輸送等により、敦賀や三国、大阪や名古屋まで行い大きな商社機能をもつようになりました。

 大野丸はこうした物産輸送のため、1858年に建造された2本マストの洋帆船で、北海道と福井、 大阪とをつなぐ重要な物資や人員の輸送をして商社機能を高めました。
現在敦賀にある北海道産の昆布加工産業も、こんな中から発展してきたものでしょう。
こうして、みごとに大野藩の借金は大野屋の開業からわずか数年で返済されたとか。
わが福井の先輩達に、こんな知恵者がいた。
その薫陶を受けたのが私達です---。