No.53 国際貿易港、敦賀 1991(平成3)年7月号掲載


 福井は日本のドマン中!「日本のヘソ福井」第53回目は環日本海時代の幕開けで再び脚光 を浴び出した、日本海の有力な国際貿易港「敦賀」のおはなし。

 環日本海交流の歴史をひもとくと、敦賀港の重要性が浮上してきます。
その歴史は古代にまでさかのぼり、気比神宮とゆかりの深い神功皇后の時代からたびたび 歴史の表舞台に登場。
大陸からの渡米文化は、真に敦賀を拠点に伝えられたといっても過言ではありません。
そして明治以降、国際港として繁栄し、敦賀−−ウラジオストック間の直通航路やシベリア 鉄道を利用して欧州まで行く、欧亜国際連絡列車が走るようになりました。
(明治45年には、東京を発って15日目にロンドンに到着するという、欧亜国際連絡線も登場。
「東京−ベルリン」「東京−ロンドン」など、直通切符として発売され、世界各国の時刻表 にも国際連絡列車として記載されました。
しかし昭和16年ドイツとソ連の開戦によって、30年間の国際運輸の花形列車はその幕 をとじましたが・・・)。

 その後、大陸交易の減少で国際港としての位置づけは弱まりましたが、いま再び環日本海 時代の幕開けとともに、日本の歴史を作ってきた敦賀港の重要性は、また高まってきました。
再び“表舞台へ”踊り出た敦賀−−。
日本の歴史をつくってきた敦賀は、日本のヘソ福井を象徴するような活躍が、 期待されています。