No.80 福井県出身の継体天皇 1996(平成8)年1月号掲載


 福井は日本のドマン中!「日本のヘソ福井」第80回目は、「福井県出身の継体天皇」のおはなし。

 福井生まれの継体天皇の曽孫が聖徳太子。
天皇の系譜も安閑・宣化・欽明(仏教が日本に伝来した時の天皇)・敏達・用明・崇峻・推古と 続き聖徳太子の摂政の時代になりますから、私達にとって実に身近な天皇でもありましょう。
継体天皇が天皇に即位する前は男大迹王(おおとのおう)とよばれており、 応神天皇の子孫で近江の国高島群三尾郷の彦主人王(ひこうしのおう)を父に、 母は越国の美人と誉れ高かった丸岡は高向(たかむこ)の豪族の娘、振媛(ふりひめ)と由緒正しい方。
父が若くして亡くなった為に母の実家である、現在の丸岡町高田の高向の郷で育てられました。
日本書紀によれば男大迹王は西暦450年に生まれ、507年に天皇に即位、531年81才でなくなっています。

 彼が5世紀の中頃から6世紀の前半にかけ実在しており、相当の年まで福井で育ち、 福井での政治(まつりごと)(治政)がいろいろな伝説として残されています。
九頭竜川の治水事業のほか、三国湊を整備し中国や朝鮮と広く交易し、 また笏谷石発掘や河和田漆器、岡本和紙の開祖だとかの例えは今風「地場産業の振興者」でもありましょう。

 まさに当時の越国の大きな経済力を背景に、時の大陸の情勢にも通じた国際人で、 治水や地場産業の育成など行政手腕の卓越した人としての継体天皇が浮かび上がってきます。
福井生まれの男大迹王が、継体天皇として即位された歴史的な必然性は次に譲るとして、 私達の福井にとって大変、誇りに思うことのひとつですね。