No.17 情に報いること 1985(昭和60)年5月号掲載


 情報産業とか情報化社会などと、最近とくに「情報」という言葉が氾濫していますが、 情報とは何でしょう。

 創業者でもある松浦機械製作所の松浦敏男社長は、自分の仕事を天性のものと考え、 50年間、いつも仕事に対する問題意識を持ってきたようです。
その結果、仕事に対する独得のカンが働き、問題発見の糸口がつかめるようになりました。
またそのカンを研ぎすませるために、自分の仕事仲間を非常に大事にし、その仲間の皆さんから いろんな情報を入れていました。
例えば、昭和30年頃、松浦機械製作所が工作機械の生産を再開するにあたり形削盤(シェパー)を 作るつもりだったのですが、現在生産しているマシニングセンタに比較的参入しやすい フライス盤をつくったのも、松浦敏男社長の仲間の助言があり、その助言という情報に真剣に 取り組んだからでしょう。
身近にある、それも本当に相手の身になって考えてくれる仲間の知恵なり工夫なり、 話しが本当の情報でありましょうが、反面、いつも問題意識を持ち続けていなければ、 得られないことも事実でしょう。
いまでも松浦敏男社長は、彼ら仕事仲間と「ウラ、オマエ」と親密なつきあいをしています。

 そんなわけでもありませんが、私も可能な限り、いろんな方々との「ご縁を大事に」しています。
昭和42年に私はアメリカやヨーロッパへ「NC工作機械の将来について」という調査をJETROの 嘱託調査員として出張したことがあります。
松浦機械製作所がフライス盤からマシニングセンタのメーカーに転換し成功した原因は、 この調査が大きな要因ともなりました。
フライス盤メーカーとしての技術蓄積をもとに、アメリカやヨーロッパにおける情報収集と、 ソニーの大賀現社長の適確な第三者のアドバイスによるところが大きいとも思います。
こんな、いろんな方々との「ご縁を大事に」してきた反対給付としての情報づくりが、 今日の松浦機械製作所が生き残れた基盤になった、そんな気がします。

 私は現在も、私共のユーザーや代理店、あるいは材料や部品を納めていただいているメーカーや 取扱い店を訪問し、今の問題点や将来の問題点はなにかを、つねに問いかけ、 いろいろなことを教えていただいています。
こういう意味で、ユーザーやいろんな方々、例えば国税局の局長さんや税務署長さんでさえも、 私にとっては大事な、そして大変貴重な「お師匠さん」でもあります。

 このように私は「心の中こそ、情報そのもの」であると思っています。
活字になったり電波になったものは本当の意味でもう情報ではありませんし、情報とはいえません。
「情に報いる」という情報の定義語源をいま私は、じっくり噛みしめつつ、 トップが情報収集できうるネットワーク作りをさらに、大きなものに構築しなければと思うのです。