No.34 脇役から世界の主役へ 1988(昭和63)年3月号掲載


 世界を一年に何回かの割で歩き廻っている私にとって、特にここ2〜3年、 私達日本人に対する海外からの見方が随分変わってきているように思えてなりません。
実は昨年、私どもが懇意にしています某銀行が、ニューヨーク支店開設10周年を記念して 「10万ドルをニューヨーク市に役立ててほしい」と申し出られたところ同市の公立高校では 第二外国語として、日本語を選択する生徒が多いので、その費用に使わせていただくとの 返事があり大変感謝されたそうです。
一昔前までは高校の第二外国語といえば、スペイン語やイタリア語が主流。
まさか日本語が対象になるとは夢にも思わなかった、とはニューヨーク在住の方の話でした。

 アメリカの若い学生が日本語を学ぶ、この背景は何でしょうか。
いろんな見方や考え方はありましょうが私はニクソンショックや石油ショックを見事に乗り切った 日本経済の力強さ、そしてここ2〜3年の急激な円高を克服した日本を、 いちはやく知るために日本語を理解することが一番のはや道と、彼らが考えだしたのではと思うのです。
また先日のNHK特集「世界が日本語を話しはじめた」のテレビ放送なども、 このあらわれのひとつと思います。

 しかし、もしこのことに私達が有頂天になり、今までの論理で私達だけの幸福を求めて行動するなら、 せっかく彼らの日本への畏敬の念は、忘れさられ反対に日本は孤立化するでしょう。
最近、私が仕事を通じておつき合いをいただいている海外の友人達は私達に、 経済力の強さを背景に傲慢になりがちな日本人像や理念を求めているのではなく、 例えば身近なところの「松花堂弁当」にみられるような、日本人特有の美意識と繊細な表現力をもち、 謙虚で勤勉な、そのうえにいつも感謝の心をもち相手を思いやる、 そんな日本人像のような気がするのです。

 そして、もっとも日本的な日本人像とその哲学をもち続けることが世界の大きな舞台(ステージ) における脇役から、主役を引き受けざるをえない私達にとっていま一番大切なことではないかと思います。
また、先月末に関西財界セミナーで昼食をともにしました駐日シンガポール共和国の総領事、 徐礼信(スイ・レイシン)さんの日本人論でも、同じような話があったのが気になりました。