No.42 おかげさまで 1989(平成元)年7月号掲載


 先日、来福されたM電機T製作所の某部長さん。
このたびT製作所からK製作所へご栄転されることもあってか「今だから松浦さんに話しますがね。
初めてT製作所がマシニングセンタを買うとき、松浦さんのマシンを私が一人で勝手に決めましてね。
そのあと社内で難しくなり私がそのキャンセルをしに福井を訪ねました。
キャンセルなんて、なかなか言い出しにくいもんで、ついつい工場をみせていただいてその時間稼ぎをしようと思いました。
でもそれはまさに工作機械を真摯な姿でつくる工場そのもので、まず胸を打たれ、さらにこの工作機械 づくりを実質的に推進している当時の松浦副社長に会って、その企業ポリシーを聞いて一目惚れ。
MCのキャンセルどころか、万一M電機がもし松浦のMC購入が駄目なら、私の退職金をカタにしてでも設備しようと決意。
ヤブレカブレでT製作所長に直訴して購入を認められたんです---」と。

 この部長さんの私どもへの思い入れ、いや思いやりのある決断がきっかけで、松浦機械とM電機T製作所は強くて太い絆となって結ばれていきました。
メーカーとユーザーという立場をこえた両社の若手技術者同士のフランクな技術交流の場は、今も両社のエンジニアの切磋琢磨という形で生き生き活動し研究し続けています。
私はこの部長さんのこんな思いやりのあるいいお話しをうかがい、「良い物を作ってきて本当に良かった」と思いました。
そして私達がいい仕事が出来るのは、M電機の部長さんのような多くの方々の、心からのご好意に支えられているだということを、改めて知ることができました。

 こんな感謝と感激の「おかげさまで」という心は、先月福井県ボーイスカウト連盟結成40周年記念に 来福された、日本ボーイスカウト連盟の井深大理事長(ソニー名誉会長)にお会いしたときにも話されました
「この頃は感謝や感激の心が欠けているのではないか。
このひとことの『おかげさまで』という心を持ちつづけてこそ、この世の中はうまくいくと思うんですがね---」
という言葉からも、さらにこのおかげさまでの大事さを、あらためて知ったのです。

 おかげさまで---という心を、私はいま一度よくかみしめて、この感謝の心をこめた生き方をしてみたいと思っています。