No.53 父より子 花の心は 傳はりて 1991(平成3)年5月号掲載


 去る3月31日、私の父であり松浦機械製作所の創業者であり、当社の会長の松浦敏男が 永い眠りの旅に発ちました。
丁度その日は私の誕生日でもありますことから「倅よ、俺のことを忘れるでないぞ」 と念を押していかれたような気がしてなりません。
不思議といえば本当に不思議、何か因縁めいたように感じます。

 今思いおこせば父と一緒に私が過ごした54年余り、そして父の仕事を意識したのは 小学3年生の頃からでしょうか。
でも本当の意味で父と一緒に仕事を始めたのは、昭和34年春頃からでした。
それから今日までの間、父の強烈な印象は決断の連続であり、その勇気ある姿でした。
そして誰にも真似のできない勘の良さと、思い切った仕事をまかせる寛容さは、 私など足元にも及ばないほどでした。
金繰りのことは私が一緒に仕事を始めた時いらい一切タッチせず、ひたすら機械作りに終始した毎日。

 石油ショックに耐えて、マシニングセンタを中心とした会社の経営が軌道に乗り出してからは、 殆どの仕事を私をはじめ役員や幹部社員にまかせて、暇があれば毎日、昼夜の区別なく工場の 中を見て歩くことだけを楽しみにしていた、あの姿。
それほど父は純粋に生きてきた、その生き方が私の胸中に再三、熱く込み上げてきます。
でも、ここ一番というときには、あの鋭い決断力と先見性、そして何にも変えがたい勘そ駆使して 私に指示を与えるなど、私にはまねの出来ない父でもありました。

 密葬の通夜は季節はずれの寒い4月1日でしたが、ご不自由な体をいとわず一人の方が、お参りされました。
その方は私が親しく尊敬申し上げている俳人、伊藤柏翠先生でした。
そっと渡してくださいました一枚の色紙には、桜が咲き、まさに春爛漫のときに先生が、心をこめて うたわれた、ひとつの句がしたためてありました。

 父より子 花の心は 傳わりて″ 合 掌