No.62 考えよう、修理できない社会システム 1992(平成4)年11月号掲載


 10数年も使っているスイス製の皮製書類カバンが、不注意から把手が壊れました。
ビジネスにおける私の身体の一部みたいに愛着のあるカバンだっただけに、 何とか直してもう一度使えないだろうかと思い福井市内は勿論、東京や大阪のその筋の専門店などへ 照会しましたが、その回答は全てが「残念ですが、修理はできかねます。それより新しいものを、 お買い求められてはどうですか。結局はその方がお得ですよ」とのことでした。

 把手が壊れたこと、カバンの骨格の役目をしている木枠(今ではアルミなど金属製のようです) の一部が折れたことの2箇所を直しさえすれば、まだ5年や10年は使えそうなカバンが、 日本では直せないという事実に驚きました。
この9月アメリカへ出張の折、知人に話したところ「喜んで直してくれる店があるよ」と紹介され、 完璧に修理が可能であること、費用もリーズナブルであることを聞き、 私はカバンの修理を依頼しました。
アメリカには、こんなにもしっかりした職人芸をもっている方々が、 まだまだ元気に活躍できる場があることに、日本の驚きとは違った感銘をうけました。
こんな我が国の社会現象は、私達の周りには数多くあります。
消費することに慣れ、消費は美徳の風潮が大きな問題になりつつあるようです。

 わが業界でもコンピュータ支援による生産システムに短絡し、 コストや品質優先や生産優先などとメーカーの論理を押しつけてきた、そんなような気がします。

 まだまだ使える物が修理する店がない、直す者がいないというそれだけの理由で、 みすみす棄てざるをえない。
よくよくみればカバンだけでなく、靴も自転車も洋服も、いや自動車や電気製品までもが 「直すよりも新しいものを買った方が得です」という原理が作用している社会システム。
考えてみればぞっとします。

 いま世界は冷戦構造から大きく変化しつつあります。
省資源や省エネ、環境問題など世界中が総見直しをする中で、世界に役立つ社会システムとしての 「直し屋」がすでに欠落している日本は、大きなツケがくるのではないでしょうか。
特に物作りを担っている私達にとって寂しいことであり、考えさせられることでもありましょう。