No.59 丹巌洞 1992(平成4)年7月号掲載


 福井は日本のドマン中!第59回目の「日本のヘソ福井」は福井市の足羽山公園のふもとにある 「丹巌洞」のおはなし。

 丹巌洞は今から140年程前に、福井藩侍医長として山本端庵が、 第16代福井藩主松平慶永(春嶽)公より、別荘(草庵)としてたまわった建物です。
目にしむ青苔、颯々たる涼風、林間の紅葉、雪見の風流、四季折々に万化する景を愛する山本端庵は、 本名を文藍、別名を士青、雅号を五雲と称し、性行洒脱、文筆にしたしみ歌を詠じ、 俳句を味わうなど、なかなかの風流人であったとか。

 その丹巌洞は、勤皇討幕の志士たちが密議所として使われた所としても有名。
松平春嶽、橘曙覧、橋本左内、中根雪江その他多数の知名文人や墨客が来遊し、 坂本龍馬と由利公正の会見記をはじめ、丹巌洞に寄せての歌など多数保存されているとか。
昭和20年7月の空襲、23年6月の福井大震災にも損傷なく、りっぱに今も残存していることは、 私達福井人の大きな財産ともいえます。
かつて福井を背負ってきた人々が休息所や密議所として利用された草庵、丹巌洞。

 洞といわれているので洞穴と思われがちですが、草庵、庭園、薬草園を含めた奥まった 「山ふところ」の別荘としての総称を丹巌洞とよんでいるようです。
もっとも開発の進んだ現在では奥まった「山ふところ」というイメージにはほど遠いものがあります。
そして今は、料亭に衣がえされていることも、但し書きに加えることとなりました。