No.13 一筆啓上、火の用心 1984(昭和59)年9月号掲載


 福井は日本のドマン中!第13回目はもっとも簡潔にして、要を射た手紙としては、 あまりにも有名な話を―。

 ”一筆啓上、火の用心、お仙泣かすな、馬肥せ”という一文。
これは、徳川家康の家臣で大番頭として自他ともに認めていた”鬼作左”の勇名を馳せた、 本多作左衛門重次が陣中から家族にあてた手紙。
この手紙の中の”お仙”は、のちに六代目丸岡城主となった本多成重のことで、 幼名を仙千代といった。
この丸岡城はすでにご紹介の”わが国最古の越前丸岡城”(松浦機械NEWS、昭和58年11月号)であり、 松浦機械本社工場から僅か2km北にある国の重要文化財に指定されている名城。

 お仙がのちに丸岡城主にまで出世しなかったら、この手紙も残ることはなかったとも思われますが、 家康の時代の緊張感と父親の情を感じさせる意味でも面白い手紙と思われます。

 情報社会化した我々にとっても、これだけの短い文で、すべての情報を凝縮する技術は そうないものと思います。
情報を伝達するすべてとして、すぐ電話をつかう我々にとって、一考を要する名文ではあります。