No.77 経済戦争 1995(平成7)年5月号掲載


 1945年(昭和20)年の敗戦から10年毎に大きな変化が起き、波を被りながらも 着実に伸びてきた日本と日本経済。
'55年の朝鮮動乱、'65年のオリンピック、'75年はオイルショック、 そして'85年はプラザ合意による円高という、いずれも大きな節目でした。
それから10年目の今年は6回目の節目で、何事もなければと思いきや、 阪神大震災などの社会的な事件や現象が引き続いたものの、内心は昨秋からの景気回復感から 10年目のジンクスは外れると思っていました。

 しかし2月からの円高という大きなウネリは、3月から4月にかけ1ドル70円台に突入するという、 誰もが予想しなかった大きな経済現象となって、私達の前途に立ちふさがりました。
この超円高をどう見るか、私は3月18〜19日に急ぎ渡米、多くの親しい方々に会ってその背景を探れば――。
「この円高は経済現象と見るより、経済戦争と見た方が理解しやすいだろう」というものでした。
第2次大戦で勝負がはっきりついた米国と日本は、その後の経済戦争では勝負が逆になってしまっている。
その負けたアメリカが本気になって、経済戦争で日本から勝つための戦略を立て実行した。
少なくとも10年以上の問題と、全てにわたる外交的な根回しと布陣をすませ、 日本への欧米をはじめアジア諸国からも同情を全くなくしての、経済戦争への抱き込みだというものです。

 「アメリカは今の内に諸外国、特に日本からどんどんカネを借りまくって、 その借金を返す時は価値が半分になった安い通貨で戻せば良い。 損をするのは巨額のカネを貸した日本で借りたアメリカではない」と、 アメリカの高官や経済人は、本気に思っているということも小耳にはさみました。
ドイツに比較して、以前ほど軍事的な価値が低下しつつある今の日本は戦略なし、対症療法のみ。
戦略のない船長と利己的で個人主義な下士官や船員を乗せた日本丸が、 仕掛けられた大波に木の葉のように翻弄されて、光の見えない航海を続けなければならない―― そんな絵ときがわかった時、私は慄然となりました。