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シングルorダブル

令和8年夏号のシングルorダブル
No.221若泉敬先生
我が福井県出身の国際政治学者若泉敬先生が亡くなられてからこの7月で30年の時が経ちました。先生は、若い時に米国に人脈を築き、日本の政官界に外交・安全保障について提言を述べる立場となりました。そして時の首相により密使として沖縄返還交渉を託され、この難題を纏めるために心血注いで米高官と極秘裏に交渉を重ねた結果、1972年5月に沖縄が返還されました。その後は表舞台に出ることなく福井県鯖江の小高い丘の上にあるご自宅で隠遁生活に入られました。そして1994年に沖縄返還に伴う日米の有事の核持ち込みの密約を明らかにした著書「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」を刊行、太平洋戦争で唯一の戦場となった沖縄の人たちに更なる苦労をかけることになった歴史の結果責任を重く受け止め、その後も死ぬまで沖縄に寄り添って日本をこよなく愛した信念の人でした。
先生と先代の父正則が懇意にしていた関係で私が大学生の折に隠遁されている鯖江のご自宅に父と一緒にお邪魔する機会がありました。初めてお会いした時、髪はオールバックで濃い眉毛に眼光が鋭く細見で颯爽とされた紳士で、父との会話の中で常に真剣に物事に意見されておられたのが印象的で、横に居た私は何も分からずただただ緊張していた思い出があります。そこから話が進んで、毎年正月に先生のところに私が一人で年始挨拶に参ることになりました。その折に「元旦の各主要新聞の社説を読んで口頭で感想を述べなさい」というとてつもない課題を先生から与えられ、それから毎年正月は冷や汗から始まることになり、大変な思いをしながらも先生から薫陶を受ける機会をいただいていました。手土産に持っていった母方の実家の田舎まんじゅうが先生のお気に入りで、出来の悪い私への大きな助けになりました。ご自宅を御暇する時に先生が玄関の前に立たれて私の車が見えなくなるまでずっと立ってお見送りされていたのが思い出されます。また私の結婚披露宴の直前に父が腸閉塞で手術することで参加ができなくなり、その披露宴当日の時間ずっと病室に居て父の相手をしていただいたのが先生でした。
若泉敬先生没後30年となり、ご親交をいただいたことに心から感謝するとともに、今後の日本が先生から見ても誇れるものになるよう、製造業を通じて微力ながら貢献したく思います。合掌。
